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子どもの虐待防止に関する様々な意見       フォーラムにもどる
1 定者吉人さん(弁護士)の日本小児心身医療学会(1996年)での基調報告
2 「CAPは子どものためのもの?」 サイバーキャッププロジェクト 板谷麻生
3 「スクールセクハラを考える」 CAPエコール  亀井明子

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定者吉人さん(弁護士)の日本小児心身医療学会(1996年)での基調報告より。
 
 子どもに対する虐待が、どれほど重大な結果を子どもの体と心にもたらすかを考えるとき、今もっとも必要なのは、虐待事件を早期に発見するために有効なシステムを作ることである。そして、そのシステム作りにあたって、第一に、刑事罰をもって強制する通報義務制度を創設することの必要性、第二に、子ども自身に虐待を通報する力を身につけさせていくことの必要性を指摘したい。

 日本の場合、虐待事件の発見、報告のための手段方法がまったく不十分である。
児童福祉法25条では、虐待されている子ども(要保護児童)を発見した者は、児童相談所(児相)に通告しなければならないとされている。しかしこの通告義務にはなんらのペナルティもなく、そのような義務があること自体ほとんど知られていない。その結果、虐待が仮に認知されたとしても、通告は怠られがちで、悲惨な結果を招くことがしばしばある。通告が怠られる理由として、親の権限(親権)への過剰な配慮ないし遠慮がある。しかし、親がたとえ、どんなふうに(例えばしつけだとか言って)自己の行為を正当化しようとも、虐待は子どもに対する重大な権利侵害以外のなにものでもない。したがって、虐待を認知した者が関係機関に通告することは、市民としての当然の義務であることを、すべての人が認識する必要がある。

 なかでも、医師や教職員、保母などは、その職業を通じて子どもと日常的に接触する機会があり、虐待をもっとも発見しやすい立場にある。そこで、これらの者に対しては、一段と強い虐待告知義務を科することが正当化される。そこで、これらの者に対し、虐待があると疑われる事実を認知した場合、直ちに専門機関に通報をすべき義務を科すとともに、その義務に違反した場合は犯罪として処罰されるとする新たな通報義務制度が創設されるべきものと考える。

 もっとも、いかなる者に、いかなる場合に通報義務が科せられるのかは罪刑法定主義の見地から明確に規定される必要があるし、虐待を疑うべき事情のもとで通報したことについては、(虐待でないことが後日判明した場合も含めて)一切の法的責任を免除される旨の規定も設けられる必要がある。

 さて、虐待を早期に発見するための一番の近道は、
虐待を受けている子ども自身が自己の被害を関係機関に通告することである。その意味で、私は、森田ゆりさんによって日本に紹介されたCAP(子ども虐待防止)プロジェクトに注目している。

 CAPプロジェクトは、1978年にアメリカのオハイオ州コロンバスのレイプ救援センターのプロジェクトの一つとしてはじめられ、その後、全米でひろくおこなわれるようになった。CAPプロジェクトは、ロールプレイなどを通じて、子どもに対し、自分の身体がかけがえのないものであり、子どもには自分を守る権利があること、自分を守るためには大人の命令を聞いてはいけない場合があること、被害を受けたらそれを誰かに話す必要があることなどを伝え、子どもに自分で自分を守る力をつけさせようとするものである。
 
 昨年(1996)以来、日本各地で、森田ゆりさんを講師として、CAPプロジェクトを実施するトレーナーの養成講座が開催されている。そして、講座を受講した人たちを中心に、いま各地でCAPプロジェクトを実施するための取り組みが始まっている。 子どもに
「安心して」「自信を持って」「自由に」生きる権利があることを自覚させるとともに、虐待を回避したり、助けを求める手段を具体的に教えていくCAPプロジェクトは、虐待防止にとって非常に効果的な方法と考える。ぜひ、広く日本の子どもたちも、CAPプロジェクトが実施されるよう希望する。

 最後に、子どもの権利条約についてひとこと述べておきたい。1994年春、日本は子どもの権利条約(児童の権利条約)を批准した。この子どもの権利条約は、子どもをひとりの人として認めるべきこと、子どもが人としての固有の尊厳を持ち、
「生命に対する固有の権利」(6条)、あるいは「身体的、精神的、道徳的及び社会的な発達のための相当な生活水準」(27条)を保障されるべきことを定めたものである。

 そして、子どもに対する虐待につき、その
第19条において、以下の通り詳細に規定する。

 1-- 締約国は、児童が父母、法定保護者又は児童を監護する他の者による観護を受けている間において、あらゆる形態の身体的若しくは精神的な暴力、傷害若しくは虐待、放置若しくは怠慢な取扱い、不当な取扱い又は搾取(性的虐待を含む。)からその児童を保護するためすべての適当な立法上、行政上、社会上及び教育上の措置をとる。

 2-- 1の保護措置には、適当な場合には、児童及び児童を監護する者のために必要な援助を与える社会的計画の作成その他の形態による防止のための効果的な手続並びに1に定める児童の不当な取扱いの事件の発見、報告、付託、調査、措置及び事後措置並びに適当な場合には司法の関与に関する効果的な手続を含むものとする。

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 日本は子どもの権利条約を批准したことにより、虐待に対する対応を、子どもの権利条約19条にそって、抜本的にあらためる必要に迫られているのである。

 また子どもの権利条約は、第10条において、子どもは原則として親の意思に反して親から引き離されないとしつつ、虐待の場合は例外で強制的に親子が分離されることも許容されると定める。

 日本においては、いまだに、子どもを親の所有物のように考え、親が子どもをどのように扱おうと自由で、まわりもそれに対して口を出すべきでない、との考え方が根強い。
それに対して、子どもの権利条約は、子どもも一人の人として尊厳をもって生きる権利があり親の所有物ではなく、親は子どもに対し
養育の「責任」こそあっても子どもを勝手気ままに扱う「権利」などないとするのである。

 子どもの権利条約が、今後多くの国民(大人や子ども)に知られ、子どもの「人として尊厳をもって生きる権利」を尊重することが国民の共通理解となるとき、これまでの誤った「親権」意識は払拭され、自律・他律の両面において、親が安易に虐待行為に走ることのできない社会環境ができあがるものと期待する。

 その意味で、
子どもの権利条約の広報は、虐待防止の一翼を担うものとして大切な意味があると確信する。
 
 
オピニオンを書いた定者さんのホームページ
「虹の学校&子どもの権利条約」
http://niji.jp.org
 
「CAPは子どものためのもの?」サイバーキャッププロジェクト 板谷麻生

 CAPでは、子どもたちに
「安心、自信、自由」という三つの権利を教えますが、これはなにも子どもたちに固有の権利ではありません。われわれ大人も家庭や職場、社会の中で、この三つの権利が侵害されそうになったり、実際に侵害される場合があります。子ども時代を18歳まで、それ以降を大人とします。平均的に78歳まで生きられるとして、大人の時代は60年間もあるのです。いじめや差別は大人社会にも蔓延しています。

 実はCAPは子どものためではなく、大人のためにも必要なのではないでしょうか。自分の持つ権利を知らず、また権利があることを知っていてもそれを使う方法を知らない大人が多いからです。そのためには、子どもの時からCAPを学ぶことは大変有意義なことだといえます。自分の権利が侵されそうになったときに、
「No!]といえる子どもは、大人になって同じような目にあったときに「No!]といえるかもしれません。

私たち大人も、
「安全に生きる権利」「強く生きる権利」「自由に生きる権利」の三つの権利が、毎日の生活の中で守られているのかを確かめながら生きてゆくのが大切です。万が一、三つの権利のうち一つでも守られない場合は、積極的に行動して権利を守るようにします。このように権利意識を日々高めていくことが、「エンパワメント」の思想につながって、自分自身をまた他人をも強くしてゆくのだと思います。  
 

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「スクールセクハラを考える」 CAPエコール  亀井明子

 秋の夜長、相談電話もなくポッカリあいた時間ができたので久しぶりに読書でもと読みかけの本を手に取った時でした。電話の音に受話器を取ると「ずいぶん昔のことですが聞いてもらえますか?」と話し始めました。


 彼女は62歳でお孫さんも3人になり、自分なりには落ち着いた生活を送れるようになってきた。しかし、どうしても胸につかえていることがあり、電話をしてみようと決心されたということでした。それは、彼女が中学校を卒業した時に起こった出来事でした。大好きだった男の先生から「その日は宿直なので遊びにおいで」と声をかけられ友達数人と行く事になった。(当時は男の先生が交代で宿直室に泊り込んで学
校の警備にあたっていた)しかし行ってみると1人だけで他の友達はだれもきてなかった。先生とおしゃべりをしたり、トランプをしたりとても楽しい時間を過ごしたのにこの時彼女の心に一生消える事のない傷を負わされることになってしまったということでした。彼女は先生にレイプされたのです。もちろん、親にも友達にも誰にも話すことが出来ず一人で悩み、苦しみ、何回死のうと思った事かと一気に話されました。そして、ふぅーっと大きくため息をついてからゆっくりと続けられました。実は妊娠してしまった事、この事実によって親の知るところとなり彼女は母親から「なぜ先生が一人の所に行ったのか、親に嘘をついていったからこんなことになってしまった、ふしだらな女だと思われるから絶対誰にも言わない事を約束させられた。そしてもし父親の知るところとなればきっと彼女は勘当されるだろう」と、母親は父親に気づかれない様に全ての事を一生懸命してくれた。しかし、と彼女は続け「ずぅーっとこれは違うんじゃないかと思い続けてきたんです」どこかで誰かに聞いてもらいたいと思う気持ちが日増しに強くなりしかし、どこで?誰に?ということはわからないまま来てしまった事、また、自分自身のなかでもこれは言ってはいけない事なんだ、恥ずかしいことなんだという気持ちも、自分が悪かったんだという思いも拭い去れてはいなかったと更に彼女自身を責める言葉が続いていきました。被害を受けた多くの女性が言います「やっぱり私が悪かったんですね」彼女も例外ではありませんでした。「いいえ、あなたは少しも悪くありませんよ、つらかったですね」と声をかけたもののその後私は言葉がでませんでした。「今日は、思いきって話してみて本当に良かったと思います。私が悪いのではないと始めて知ったのですから」と私を察してか彼女の方から言葉を繋いで下さったのです。


 「スクールセクハラ」をなくそうと活動を始めてもう7年ぐらい経ちますが、62歳という年齢の方からお話を伺ったのは始めてでした。37年もの間悩み、苦しみ、癒されることなく過ごされたということは『性的虐待』の被害者が置かれる社会的な立場を如実に物語っていると感じます。そして当時彼女の母の言葉のなかにあった『レイプ神話』が今もなお変わることなく存在している事に恐さを感じます。
 学校の中で起こっているセクハラは、加害者は「愛情表現であってそんなつもりではなかった・これは単なるスキンシップだ」と弁明を繰り返し、「先生がそんなことするはずがない」と世間はこれを支えてしまう。更に同僚意識・身内意識が手伝って「あの先生は熱心ないい先生なのに…・」と被害を受けた子どもや、その子どもをサポートする先生達が反対にバッシングをされてしまうという現象が起こってくるのです。『性的虐待』は暴力であり暴力は明らかに犯罪です。しかも、社会的に作られた力関係の中で起こってくるものですから逃れ様にも逃れる術の無い状況に置かれているのです。子ども達は、先生からの心ない言葉やからだに触れられることで傷つき先生が「これぐらいのことで……」と思うような小さな事象にもこころを傷めているのです。その事に私たちは気づき、「いや!って言ってもいいんだよ」「そこから逃げてもいいんだよ」そのどちらもできなくても「起こった事を誰か信頼できる大人に話してみようね、話してもいいんだよ」と伝えていく事ができると思います。しかしながら、スクールセクハラをなくすためには(暴力の根絶)世論の高まりが大切です。多くの人とのつながりの中で行政や法に訴えていくことができると思います。CAP活動をしているみなさんと各地での取り組みなど情報交換をしながら全国的な動きをつくっていきたいと考えています。ぜひ情報をお寄せ下さい。


  CAPエコール  亀井明子

  FAX:06−6992−9184
  E-mail:kameijp@mti.biglobe.ne.jp

「スクールセクハラを考える」(亀井明子さん)はCAPセンター通信2号より転載させていただきまた。亀井さんは、COSMOの会を設立、D・Vの被害者サポートとD・Vの根絶をめざした活動をしています。

 
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